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la bonne chanson dans mon cœur

とある藝大生。好きなもの、考えたもの、思いついたことについてツラツラと書いていきます。カメラ、革靴、色々、もちろんピアノも。

夜が明るいね

なぜ連投するか、単に眠れないからである。

Twitterとは違うんだから、ブログは重みのあるものなんだから、連投は止すべきだというお小言はすでに私の中で発生して消化されていった。いいじゃない、そういう日もある。

 

5時前、東向きの窓の小さな我が砦は、毎日欠かすことのない地球の営みを目の当たりにする。いわゆる「朝が綺麗」というものだが、今の私には「夜が明るい」と感じられる。私の朝はまだ遠い先に。

 

先輩と音楽の話をして、ショパンブラームスが好きなんだと言ったら「お前www童貞くせえものばっかじゃんwww」って言われたのさ。

一理ある。彼らは死ぬまで言いたいことが言えないタチだった。そんな彼らに勝手な共感を抱いているのだからね。

 

私は何でもいいだなんて都合の良いことをほざいた。相手の出方を伺って、顔色を覗き込む。

後から後から湧き出る感情は、これは本心なのか、一時的な、単に失うという行為が怖いだけなのか。

その場では強がり、本心と向き合うことを恐れて逃げた。御託を並べて偽った。臆病者。

 

あなたを失うのがただひたすら怖いだけです。

今までが共感と共通の連続だったから、あなたの意に反することを発するのが怖い。

 

 

何でかなあ。

生命の味

博多の櫛田神社、ご存知ですか?まあもちろんないですよね。

近くには高級韓国料理店があります。どうだっていいですね。

 

霊泉鶴の井戸があります。不老長寿の水として崇められています。確か3口に分けて飲むんだったかな?

 

キョーレツに不味いんです。凄い鉄分と塩の味。井戸は真っ赤です。

でもこれ、よく考えたら血の味そっくりなんですよね。だからそういった祀られ方をするのかな。

 

ふと思い出した故郷のお話でしたとさ。

私の人生において

大体の場合、運命的なものや見えない力による流れに抗っても良いことは起きない。

それってのは、いつも私の中に聞こえる声。誰か知らないけれど、守護霊なのかもしれないし、私が産まれる前に亡くなった姉なのかもしれない。もちろん幻聴を訴えて精神科にかかるべきなのかもしれないのだけれど。笑

今回ばかりは、何も声がしない。それはその声ですら判断できないのか、私を試しているのか、私を突き放しているのか。分からない。

 

結局、自分では何も決められないんです。

恐らく自分で決めたことは1度も無いのではないか。

 

そしてごめんね、私が書いてしまった。ずるいでしょう?笑

Marchons !!

どうしても自分の思考の次元に辟易して仕方が無い状態ってのが、不定期だけれども度々訪れる。それは他人と自分を見比べることに起因することが多い。

 

決して今までの自分に満足していた訳では無い。いやでも もちろん、一定の納得のもとにはあったけれども。

RPGゲームが分かりやすい例えかもしれない。

それぞれのレベルで段階があって、すべきことがあり、限界があり……。

そのレベルで動けるフィールド内をくまなく動き、スキルを少しずつ上げ、さあぼちぼち次に行くかと言ってちょっとしたボスを倒し、次の段階へと進む。

 

私は今もうこの脳ミソがいやだ!この文章がいやだ!新しいものを得たい。もっと高い次元の思考を得たい。

甲斐路を再び。

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甲武二州の国境を 越ゆれば雲の上野原 四方津の嶺は我々として 翼をかえす鳥沢やf:id:maru-hammerklavier-musik228:20170318112052j:image

積翠凝りて滴りて 玉なす水の桂川千尋の断崖に かかるや猿橋虹の如

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川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し

 

 

音楽的なこと

を久しぶりに書きませう。たまには書かないとね。ピアニストなりかけの身として(?)。笑

 

トーキョーに来て、早いもので1年が経とうとしているのね。何を勉強しましたか?

 

最初は嘆き悲しみました。思っていたところと違ったのよ。アーティスティックじゃないやつばっかりでね。私の嫌いな人種。

それで、初夏にかけてはひたすらそれについて嘆き悲しむばかりの、ちょっとしたバカをやっていました。

結局、能動的に動くことを諦めていたってことです。

 

不毛な砂漠に放り出されたことをいつまでも嘆くより、その中で咲く花は無いか、湧き出る水は無いか、舞う蝶は、歌う鳥はいないか、それらを探すことの方がよっぽど懸命でしたね。

 

結論からすると、探せば出てくるもんです。つくづくバカだったと思います。

 

そこから導き出されたのが、音を良いタイミングで狙って鳴らすこと。語弊を恐れずに言うと、重音は同時に鳴らせってこと。それだけ。

これだけ単純明快な事に悩み苦しむ今日この頃です。12月にやっと気づいたこと。笑

音の説得力が明らかに違うのね。

 

HAHA いつもブログは「なんか書きたい!」から始まって「もう疲れた!」になるのね。相変わらずの尻切れトンボ投稿です。許してください。脳のメモリーの出張所みたいなもんだから良いんだけど(?)

何をいまさら。

人に会わないあいだ、ひたすら孤独に耐えられなかった。だから、インターネットを通して人と接したがった。

 

ここから先は、もう「当たり前だろ、今さら何を(笑)」って話。閲覧注意。

 

求めた先にあったもの、画面に映し出されたもの、それはもちろん虚像でしかなかった。

友だちは友だちの仮の姿だし、愛する人は、無機質な何かになった。

画面の向こうで携帯を操作するのはもちろん紛れもなく本物のその人であったが、機械を介せばそれは全くの別物である。

 

私はそれらにすがればすがるほど虚しくなった。それを知りながらもさらに求めた。

 

やっと明日から登校できる。人に会える。生身の人間に乾杯。