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la bonne chanson dans mon cœur

とある藝大生。好きなもの、考えたもの、思いついたことについてツラツラと書いていきます。カメラ、革靴、色々、もちろんピアノも。

泣いたり笑ったり

看取った。

祖母の弱音と涙を初めて見た。

母親の泣き崩れるのも初めて見た。

人の本当の悲痛な声を初めて知った。

 

お通夜。

知らなかった話、涙する話、笑える話、様々な話が飛び交う。

素晴らしいではないか。

彼はそれを起こすだけの力を持った偉大な男だった。

慕われていたとはこういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん、お父さん、良かったねえ、綺麗にしてもろうてから。」

「お父さん、みんな来てくれたねえ、良かったねえ。」

「お父さん、何でね、まだしてもらわないかんことがたくさんあるとにから。」

「お父さん、お母さん1人になってしまうねえ。」

 

祖母の優しい美しい声が、彼に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が受験生の時に、彼は認知症を発症した。

私を気遣って、誰もそれを詳しく教えてくれなかった。

合格した後の春休み、あまりの慌ただしさに祖父母に会いに行けなかった。

夏に帰省した際、彼はすでに私の名前が分からなかった。病院を会社だと思い、私を新入社員だと思った。坊主!と呼ばれた。

その帰り際、ふと彼の記憶は戻った。

「おめでとう。良かったねえ。ごめんねえ。」

 

 

それが、動く彼の最後の姿であった。

次に1月に帰った時はすでに寝たきり。

意識もほとんどなかった。

 

 

終戦後の混乱のために、学生時代のほぼ全てを失った。大学に通えるはずであったが、働きに出るしかなかった。

そんな苦しい時代を生き延びた人である。

だから、私が藝術の道に進むことを一番反対したそうだ。

至極真っ当である。こんなに不安定な生活はないからだ。

60年間で初めての夫婦喧嘩も私のことだったそうだ。

 

その後、大学に合格したことを一番喜んだのも祖父だった。

涙を流して喜んだそうだ。これも60年間で初めて見た涙らしい。

 

 

心臓の手術を3回乗り越えた。

そもそも3回目を迎えることが難しいらしい。

2回目の発作で亡くなるのが普通だそうだ。

発作の時に、救急車が遅いため車で病院に行くことにした。赤信号をやむなく無視しようとした祖母を必死で止めた。私はできるだろうか。

 

目も悪かった。耳もほとんど聞こえなかった。

腰も悪かった。胃も摘出した。

これ以上どうやって彼を苦しめられるだろうか。それほどボロボロの身体であった。

 

 

 

白い美しい衣に包まれた。

運転が好きだったから、福岡の地図。

写経の本。それから筆。彼の父から受け継いだ墨。

補聴器。薬、それを夜中に探すための懐中電灯。これは手にしっかり握らせた(笑)

母から貰った革財布。

これらと、花に囲まれて。

 

 

 

ありがとう。大好きです。

大事なおじいちゃん。じゃあね。またね。